エチオピア滞在記(2003年10月5日):Welcome to Ethiopia!
目覚めると音も空気も何か違うアジスの街に心が躍る
伊瀬義治
エチオピアで迎える初めての朝。
もっと寝ているつもりだったけど起きたら10時。
とりあえずシャワーを浴びる。
バンコクと同じでお湯が出ない。
アフリカなので期待などしていなかったけど、やはり水のシャワーを浴びるには躊躇してしまう。
覚悟を決めて水シャワーに飛び込む。
声には出さないものの体が「うひょ、うひょ」と言っている。
しばらくすると水が次第に温かくなり、しまいにはシャワーから熱湯が飛び出してきた。
なんと、このエチオピアのホテルはしっかりとお湯のシャワーが浴びれるのである。
びっくりだ。
シャワーを浴び終わり、ドアを開けたまま、バタバタと荷物の整理をしていると、昨晩、空港からこのホテルまで連れてきてくれた先輩が部屋を訪ねてくる。
換金できていなかったので、先輩が60ブルほど貸してくれた。
なんともありがたい。
とりあえず、朝ごはんを食べに行こうということになり、二人でご飯を食べに出かける。
先輩はホテルの前の通りで、青く塗られたトヨタのハイエースを手際よく手を上げて停める。
乗り合いバスのようだ。
このバスのことをエチオピアに滞在している日本人はミニバスと呼ぶ。
あとで知ったことだが、現地の人々はこの乗り合いバスを「タクシー」と呼ぶ。
ただし、日本のタクシーのようなタクシーも存在する。
さて、このミニバスに乗って、先輩は繁華街に向かっているようだ。
一人95セントとのこと。
このミニバスは初乗りが55セント。その次が95セントで、距離に応じて値段が上がっていく。
だいたい停車する場所は決まっているようだが、座席が空いており、乗車を希望する人が路上で見つかれば基本的にはどこでも停まってくれる。
外の景色を見ながら先輩が「このあたりは銀細工屋さんの多い場所でピアッサっていうんだよね。銀座ってとこかな」と教えてくれる。
「銀座」の意味は微妙にわからなかったけど、とりあえず自分がピアッサという場所にいることを知る。
しばらくすると、ミニバスがたくさん停車している場所で私たちのミニバスが停まる。
ピアッサの乗り合いバス停車場のようだ。
そこでミニバスを降りて、先輩は歩き出す。
「何が食べたい?」
と聞かれたので、そこは迷うことなく「インジェラ」と答えた。
インジェラとは、テフというイネ科の穀物(世界最小の穀物らしいが)を粉にして、水と混ぜて発酵させた生地を丸い鉄板または焼き物(日本語「焙烙」と言ったりもする)でクレープ状に焼きあげたパンである。
パンといってもうすっぺらく、酸味が濃く、日本人では好き嫌いが大きく分かれる。
そのパンの上に鶏肉やヤギの肉、羊の肉などを煮込んだシチューがのせられ、インジェラでおかずをつかむようにして食べるのである。
私がこのインジェラを初めて食べたのは大学4年生の時に訪れたケニアのナイロビだった。
ナイロビのインジェラはトウモロコシでできていて真っ白だった。
酸味が激しく、正直、美味しいとは言えない代物だった。
その数週間後、私はエリトリアを訪れた。
エリトリアでもインジェラを食べたのだが、そこのインジェラがとてつもなく美味しかった。
インジェラがおいしくて、食べ過ぎてエリトリアから帰国したときには、3kgほど太っていた。
アフリカから太って帰国することもあるんだと「アフリカには食べるものがない」という偏見から解き放たれた経験だった。
エチオピアで調査をしてもいいかな、と思ったのは、実はこのインジェラである。
エチオピアであれば食事に問題なく対応できると思ったからだ。
さて、ピアッサのレストランで食べたのは「カイワット」という羊肉の入った赤くて辛いシチューと「ドロワット」という鶏肉の入ったシチュー。
「カイ」とはアムハラ語で「赤い」という意味で、「ドロ」というのはアムハラ語で「鶏」という意味だ。
先輩から、「おかず一品につき、インジェラが一枚(一人分)自動的についてくる、と考えたらいい」と教えてもらう。
久しぶりの本場のインジェラはとてつもなく美味しく、キレイに平らげてしまった。
まるで私を「Welcome to Ethiopia!」と歓迎してくれているかのようだった。
それを見た、先輩はとてつもなく驚く。
どうやら、初めてのエチオピアでここまでキレイにインジェラを食べる日本人はそうそういないらしい。
ちなみに料金は二人で24ブルだった。
レストランを出ると先輩はホテルに戻って仕事をするという。
「帰りのミニバスはこのあたりから、ほら、あれ、シロメダって聞こえるでしょ。あのミニバスに乗れば帰れるはずだから」と教えてくれる。
私は特に予定がなかったので一人で街をブラつくことにした。
とりあえず、視界に入る気になる建物の前まで行ってみる。
あとになってからわかったのだが、それはどうやらアジス・アベバ市役所だったらしい。
市役所の横を通って次に見えたのは教会らしき建物。
ロンリープラネットを持っていたので地図を見ると、その教会はどうやら「St george(聖ジョージ)教会」だということがわかる。
これもあとから知ったことだが、現地の人々は「聖ジョージ」のことをジョージではなく「ギオルギス」という。
教会の入り口では熱心な信者が十字を切りそれから中に入っていく。
さらに、聖ジョージが描かれた絵の前でしきりに祈っている人がたくさんいる。
私が踏み入れてもよい場所なのかわからず迷ったがとりあえず、その敷地の中を通り抜けてみる。
特に問題はなかった。
教会の敷地を出ると比較的広い通りに出る。
その通りをふらふらと歩いてみる。
とおりには肉や、果物、雑貨屋が立ち並ぶ。
そして、そういったお店屋さんの前で子ども達が靴磨きをしている。
水道局の看板やBethlehem School(ベツレヘムスクール)という看板や、Gabon(ガボン)、Mauritius(モーリシャス)、Burkina Faso(ブルキナファソ)の大使公邸の看板が見える。
通りを渡って出た公園にはメネリク広場と書かれている。
馬に乗った人の像。これがメネリクらしい。
ここまで歩くと、さすがに疲れたのでホテルに戻ろうと試みる。
すると、日本語で「トモダチ」「ヘイワ」と呼びかける青年が寄ってくる。
名前をEndeleといい、日本人の友達がいるらしい。
なんとなく信用する気になった。
その青年からメネリクはエチオピアに近代化をもたらした人だという説明を受ける。
その青年は「アジス・アベバを一望できる山に行こうという」。
ピアッサでタクシーを拾い、どこをどう走ったかはわからないが、すごい坂道を登っていく。
途中でエンジンがオーバーヒートしてしまったのか、タクシーは途中で止まってエンジンを冷やす。
青年によると、どうやら標高は2800mくらいまで登ってきたらしい。
さらに登って、展望台らしき場所へ。
そこにいた老人に青年は5ブルを支払い、私たちはちょっとのんびりする。
展望台なのだろうか?
どうやらエントト・マウンテインという場所で標高は3000mを超えているようだ。
私にとっては心地よい涼しさだったが、エチオピア人にとってはちょっと寒いらしい。
運転手は車のなかで、震えていた。
もうちょっといても良かったのだが、運転手も青年もとてつもなく寒そうだったので、街に戻ることにする。
タクシーが街に向かって坂をくだっているとその辺で摘んだと思われる花を持ってタクシーの横を走る少年が現れる。
どうやら花を買ってくれと言っているらしい。
ドライバーは少年にお金を渡し、花はいらないと言う。
この行為にまずはびっくりした。
エリトリアに行った時もそうだったのだが、物乞いにお金を渡す行為をアジス・アベバでもよく見るのである。
しかし、さらに驚いたことにその少年は運転手が受け取らなかった花を、車のボンネットの上に置いて立ち去ったのだ。
後日、この話を先輩にすると「多分、その少年は物乞いではないということをアピールしたかったんじゃないかな」と話してくれた。
さて、町に戻ってきてタクシーの支払い。
150ブルと言われた。
若干ぼられているような気もするが、オーバーヒートまで起こして登った山だ。
それくらい仕方ないと思うが、なんせブルを持っていない。
事情を話すと案内をしてくれていた青年が両替をしてくるという。
私は彼に50ドル札をわたし両替を頼んだ。
なんの疑問も持たずに彼にすんなりとお金を渡した自分には驚いたが、青年がホテルの換金レートよりも良いレートで両替をして、450ブル持ち帰ってきたときんはさらに驚いた。
エチオピア人なかなかいい人じゃないか、と感心する。
そのあと、青年は私を喫茶店につれていく。
彼は、アボガドやマンゴがはいったアムハラ語で「エスプリース」というミックスジュースを注文し、席を探す。
ここのカフェは満員だったが席をわざわざ詰めて、二人分の席をあけてくれた女子学生と相席となった。
みんなそれなりにかわいくて、ニコニコしている。
おどろいたのは、彼女たちはみんな耳が聞こえない障害者で、手話で会話をしていたのだ。
しかし、彼女達の表情は自信に満ちあふれた素敵な笑顔だった。
「我々は耳は聞こえないけど、かっこいいだろう」と言わんばかりに親指を突き立てる。
自分たちにとてつもない自信を持っているようだった。
「エスプリース」はどろどろしていて、飲むというよりは食べるパフェのような感じだった。
しかし、生のフルーツしか使われていないので、気持ち悪い甘さはなく、とてつもなく美味しい。
このミックスジュースは青年が奢ってくれて、女子学生からも私を歓迎してくれている雰囲気が伝わってきた。
そのあと、彼は友達の「家」に行ってチャットをやろうという。
「チャット」とは「カート」とも言われるアラビアチャノキという植物で、その葉を噛むことによって覚醒作用がおきる。
ようするに麻薬、覚せい剤の一種である。
エチオピアでは合法であり、マリファナのような激しい覚醒作用をもたらすことはない、ということは日本で勉強していた。
青年は、その家に行くためにはお土産が必要だ、というので一緒にお土産を買いに行く。
30ブルでジュースとビスケットを買い、家を訪ねる。
家には10代後半の若い女性が一人。
幼い子供が3人。
母親らしき人物が一人。
母親は病気で手術をした直後ということで、顔色があまりよろしくない。
なんか怪しいところにつれてこらたんじゃないかなと思いつつも、「子どもがいるから絶対大丈夫」とドキドキしながら自分に言い聞かせる。
子どもたちはお土産のビスケットを一気に平らげる。
一瞬だった。その勢いには本当に驚いてしまった。
こんなビスケットなど食べたことがないのだろう。
案内してくれた青年は、私のノートに「Endele」と名前を書き、「おぼえておいてね」というようなことをいう。
彼はしばらくするとチャットとコーラを買いにいく。
そのあいだ私はだまって一人でぼーっと家のソファーに座っている。
目の前では子どもたちが学校の宿題をしたり、横になっている母親に甘えたり、自由気ままに遊んでいる。
アムハラ語をもっと勉強しておくべきだったと後悔する。
しかし、私がなにも話せなくても子どもたちは私に笑顔を投げかけてくれる。
そのうちこの家の父親が帰ってくる。
家にお邪魔しているにもかかわらず、通じる言葉がまったく出てこない。
そんな私に彼はパンとトマトスープを差し出して「eat、eat」と片言の英語で話しかけてくれる。
見知らぬ外国人にとても暖かい。
この優しさに戸惑ってしまう。
しばらくすると、Endeleがチャットを持って帰ってくる。
お父さん、Endele、私でチャットを噛みだす。
最初は葉っぱの苦さに戸惑う。
ていうか、葉っぱの味しかしない。
Endeleは「奥歯で噛め」という。
もしかしたら奥歯で噛むことによって苦味を感じることがないのかもしれない、と勝手に考える。
「覚醒作用が一番低い安物だから」とEndeleが言うだけあって、私の体にはなんの反応もおきない。
口の中で葉っぱを噛んでいると、葉っぱは口の中でドロドロになっていく。
そのドロドロになった葉っぱをコーラや水を使って、口をゆすぎながら飲み込む。
最後の方には、葉っぱの苦味にもなれ、自ら手を伸ばすようになってしまった。
チャットの次に出てきたのは、その家で作っているお酒。
「アラーケ」と「タッラ」という二種類のお酒があるようだ。
アラーケの味は、昔クロアチアで飲ませてもらった自家製の透明なウィスキーに味が似ていた。
とてつもなく、きついお酒の味がする。
焼酎に近い味だ。
タッラはなかなか美味しい。
苦味はあるが、飲みやすい。炭酸のないビールのような味だ。
お酒が出てきたあたりから、気がつけば10代、20代の青年たちがこの家に集まっている。
どうやら、この家は普通に人が住んでいる家であるものの居酒屋になっているらしい。
そのうちに10代の若い女性がコーヒー豆を煎りはじめる。
コーヒーセレモニーのはじまりだ。
エチオピアの家庭では客人が来ると、コーヒーの生豆を炒ってコーヒーを淹れてくれる。
日本人はこれをコーヒーセレモニーと呼ぶ。
日本にいるときにエチオピアを研究している先輩たちにコーヒーセレモニーについて教えてもらった。
そのセレモニーが今、目の前ではじまっているので、ワクワクと嬉しくなってくる。
最近、コーヒーが苦手になりすすんで飲むようなことはしないのだが、せっかくだからと思っていれてもらったコーヒーを飲。
これがとてつもなくおいしかった。
さすがエチオピアのコーヒーである。
そのうち、眠くなってきたので「帰る」と伝えると、Endeleが私のために、Taxiを呼びに行ってくれた。
タクシーを待っているあいだに食事(インジェラ)が出てくる。
お父さんが「手を洗え」と洗面器とプラスチック製のジョッキを私に差し出してくれる。
手を洗い終わるとお父さんが「eat、eat」とインジェラをしきりに勧めてくる。
お腹はいっぱいだったけれども断りきれずに、インジェラを食べる。
少しでも、手が止まると「eat、eat」との声が・・・。
最後はお腹いっぱいだからといって、なんとか断らせてもらった。
朝から一度もホテルに戻ることなく、ずっと外にいたのだが気がついたら日付が変わっていた。
エチオピア滞在1日目は、とてつもなく長く、充実した1日になってしまった。
ミックスジュース、チャット、タッラ、アラーキ、インジェラ、コーヒーとエチオピアの名産物をすべてご馳走になってしまった。
エチオピア全体がWelcome to Ethiopiaと言ってくれているようだった。
ホテルに戻った時に聞こえた犬の吠える声でさえ「Welcome to Ethiopia!」と聞こえるのでした。
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