エチオピア滞在記(2003年10月6日):エチオピア人は謙虚なのか図々しいのか?
街中で親しくなった青年の優しい気持ちはプライスレスかも
伊瀬義治
エチオピアに到着して2日目。
今日は、アジス・アベバ大学にいる先生を訪ねてみる。
昨日、先輩に教えてもらったように一人でミニバスに乗りこみ大学まで行く。
バスの値段は昨日、先輩に教えてもらっているので、恐れることはない。
何か言われたら、大声を出してみたらいいかとじゃっかんドキドキしながらミニバスに乗り込むが、そんな不安を感じさせることなく、バスの車掌さんと笑顔でお金のやり取りをする。
大学にたどり着くとお目当ての先生は不在。
ちょうど先生のオフィスの前で日本人のN先輩と出会う。
さて、この時の私の立場は京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の1年生である。
私の渡航目的はエチオピアで調査をするためのフィールド探しと、京都大学がアジス・アベバ大学にて開催する研究ワークショップのお手伝いをすることだった。
そのため、京都大学でエチオピアを研究している先輩たちがたくさんエチオピア入りしていたのである。
なのでN先輩と会っても別に驚きもしなかった。
さてN先輩の取り計らいで言語学の先生を紹介してもらうことになった。
私は、今後アジス・アベバから南に下ったジンマという街の近くで調査をする予定にしていたので、その地方で話されているオロモ語を教えてくれる先生を探していた。
そのオロモ語の先生を探してくれると言うのである。
N先輩が言語学の先生とエチオピアの公用語であるアムハラ語で会話をするのを聞いていたが、何を言っているのかさっぱりわからない。
とりあえず、言語学の先生はオロモ語を教えてくれる先生を探してくれるとのことだった。
その後、N先輩が本屋に寄るので一緒に行こうと声をかけてくれる。
アジス・アベバ大学のあるスッディスト・キロから、アラット・キロまで下る。
(スッデストとはアムハラ語で数字の6、アラットとはアムハラ語で数字の4を意味する。キロは1km、2kmのキロである。アジスアベバ大学のある場所は「6キロ」と呼ばれている。京都の三条、四条、五条と言う感覚に近いかもしれない・・・)。
さて、アラット・キロには本屋がたくさんある。
本屋には小学生の低学年が使うような知育おもちゃもたくさん売られていた。
英語でタイトルや説明が書かれているものの、箱の裏を見ると「Made in India」だった。
なぜ、インド製のものがこれほどまでにエチオピアには多いのだろうか?
ここまで、大学で出会った先輩の車に乗せてもらっていたのだが、その先輩が「マルカート方面に行くけど、行きたいところがあれば、途中で降ろすよ」と言ってくれた。
マルカートとはアジス・アベバの中でも比較的危険な地域と言われている場所である。
ただ、そこにはアフリカ最大級の青空市場がある。
一度は行ってみたい場所である。
次にマルカートまで行けるチャンスがいつくるかわからないので先輩の車に乗せてもらいマルカートを目指す。
私は、窓に張り付いて外を眺め、アラットキロからマルカートまでの道のりを頭に入れようとする。
ふと、車が止まって、N先輩が「このあたりがマルカートだよ。この道をまっすぐに行くとマルカートの奥の方に行けるよ」と教えてくれた。
私は、そこで車を降りて、先輩にお礼を行って、一人でマルカートの中へと歩いていった。
昨日、歩いていたピアッサ「Piazza」が町の中心と聞いていたけど、マルカートはそれどころではなかった。
すごい。
とてつもない活気があり、日本でいうと、アメ横に似ているかもしれない。
ピアッサがちょっとお洒落な銀座(そばに大学があるから青山かもしれないが)、日本大使館がある周辺は大手町、そしてこのマルカートがアメ横という感じだろうか。
売っているものはといえば、スーツケース、カバン、帽子、洋服、ホース、ロープ、工具、なんでも売っている。
マルカートを歩いているとツーンと鼻を突く匂いがして、涙が出てきそうになった。
あたりを見回すと、女性たちが大きなお皿のような形のバスケット(?)を使って、唐辛子を揺すっている。
どうやら、唐辛子を乾かしているようだ。
このような光景がマルカートには溢れている。
ワクワクするようなものがたくさんあったものの、期待通りというか、マルカートにはちょっと危険な雰囲気がただよっており、カメラを出す勇気もなければ、お店に入って買い物をする勇気もなかった。
結局、マルカートの中をゆっくりと歩くことはできず、ドキドキしながら、早足で通り抜けたのでした。
唐辛子通りを突き抜けて、そのまま真っ直ぐ30分ほど歩いただろうか。
見慣れた大通りに突き当たる(見慣れたといっても昨日、一度だけ通っただけなのだが、なぜかホッとする)。
昨日歩いた、市役所につながる大きな通りである。
地図で確認するとチャーチル・アベニュー(Churchill avenue)だった。
チャーチルアベニューを右折し、急な坂道を下る。
道路の真ん中の丸い小さな広場のようになってる場所には大砲のオブジェが置いてある。
ちなみに、後で知ったことがだが、道路の真ん中にある小さな広場のようなものは「ラウンダーバウト」と言うらしい。
信号がなくても、交差点を車が譲り合いながら上手に直進したり、右折したり、左折したりしている。
坂をちょっと下ると左側に「Lyces France Ethiopian」と書かれた看板がある。フランス系の学校のようだ。
さらに坂を下り、平坦になったところにはGeneral Post Office(中央郵便局)、Ministry of Communication(通信省)と書かれた建物がある。
General Post Officeの向かい側には何か塔が立っているが、3車線ある道路の向こう側なのでよく見えない。
Ministry of Communicationの前で一人の少年が英語で話しかけてくる。
最初は無視をしていたものの、ペースが一緒なのか、ペースを合わされているのか並んで歩いてしまう。
彼は勝手に英語でガイドをはじめる。
どうやら、その青年の名はデビット(David)というらしい。
チャーチル・アベニューを下りきって、左に曲がってしばらく歩く。
「ここが国立競技場(National Stadium)だよ」とデビットが教えてくれる。
デビットはその後、ずっと私について英語で案内をしてくれた。
私は、いつもめちゃくちゃ歩くので、さすがに彼も疲れた様子だ。
国立競技場のあたりまで来ると、歩いている人たちの雰囲気が変わってきたことに気がつく。
メルカートで働いていた人たちは破れて汚れ切った薄い生地のズボンとシャツを着ていたが、国立競技場の周辺にはスーツを着たビジネスマンがたくさん歩いている。
アジス・アベバの街を歩いていると「Japan」とか「China」とか「Hello」とか「What is your name?」と声をかけてくる若者や少年が多いが、この周辺では声をかけてくるエチオピア人も少なくなった。
身なりがみんなキレイなのである。
大きな通りに面した大きな広場「マスカル・スクウェア(Meskel Square)」の前を通り、左折をしてメネリク・アベニュー(Menelik Avenue)の坂を上る。
教会があり、国連らしき建物、首相官邸らしき建物を通り過ぎ、ヒルトンホテルの前を通り、坂を上りきる。
坂を上りきって、左に曲がりしばらく歩くとシェラトンホテルが見えてくる。
まるでアラジンに出てくるような王宮のようなホテルである。
しかし、その周辺には草をムシャムシャ食べている羊の群れがいるのに笑いがこみ上げてくる。
冷静に考えると貧富の差を表している景色かもしれない。
しかし、笑ってしまう。
シェラトンホテルの正面玄関の前を通りすぎ、Ambassadorと書かれた映画館にたどり着く。
映画館の前を通り過ぎて右に曲がると、もと来たチャーチルアベニューに戻る。
この周辺には中産階級以上の方々が多いようで、みんなすごくきれいな身なりで歩いている。
今度はチャーチルアベニューを上る。
再度Lyces Franceの前を通ると、まるでアメリカ人の高校生のような身なりをした若者がたむろっている。
チャーチルアベニューを上り切った突き当たりを右折してピアッサに到着。
もう、日が暮れかけており、お腹も空いていたのでデビッドにご飯を食べたいと伝えて、レストランに連れて行ってもらった。
インジェラ、ワット、ビールを4杯飲んで21Birrだった。
ドルに換算すると、2.5ドル。
安い。
レストランを出てデビッドに闇両替に連れて行ってもらう。
日本人が一緒にいると、かなり条件の悪い交換レートを提示してくる。
1USD=8Birrというではないか。
銀行よりも悪い交換レートである。
なんとか、デビッドに頑張ってもらって1USD=8.5birrにまでしてもらったが、昨日の1USD=9Birrとは大違いだ。
さてさて、Davidとの別れ際。
彼は私にガイド代として40Birr(約5USD)を要求。
40Birrというのはエチオピア人の感覚でいくらくらいなのだろうか?
エチオピア人の腹立たしいところは、リーズナブルな値段をいうところだ。
エジプトでは、たった30分一緒に歩いただけの男性に300USDを要求されたことがあった。
法外な値段を言われれば簡単に「No」と言えることができるものの、40Birrと言われたら、払えない金額でもなければ、払ってもいいかな、という気持ちになってしまう。
これだけ、親しくなって、案内してもらって、一緒に4時間近く歩いただろうか。
アジス・アベバの街中でエチオピア人と一緒に歩いていると物乞いや興味を持って寄ってくる子どもたちをおぱっらてくれるので落ち着いて街を歩けるし、安心もできる。
闇両替で頑張って交渉もしてくれて、最後に「金がないんだ、40Birrくれ」と言われたら、そりゃ、「じゃ、どうぞ」と考える間もなく渡してしまう。
300USDを要求したエジプト人と比べると、エチオピア人のなんとかわいいことか。
私がすんなりデビッドに40Birrを渡してしまったことは言うまでもない。
はて、エチオピア人は謙虚なのか図々しいのかどっちなんだろうか?
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