エチオピアのメレス・ゼナウィ首相が57歳で死去
2012年8月21日、欧州委員会のスポークスマン、オリビエ・ベイリー氏が、エチオピアのメレス・ゼナウィ首相が「ここブリュッセルで夜中に亡くなった」と語った。
エチオピアの閣僚評議会の声明はメレス氏の死去について、「早すぎる死を非常に悲しんでいる」としたうえで、メレス氏は過去2か月間海外で治療を受けており、彼の健康状態は改善しているという報告を受けていたと発表。しかし、日曜日に「突然の感染症」を発症し、緊急治療にもかかわらず、8月20日月曜日の23:40に死亡したと発表した。
メレス氏が世間の目から離れていた約8週間にわたって、彼の健康への懸念は高まり、7月に彼は入院したと言われていた。
3週間前、政府のスポークスマン、バラカット・サイモン氏は、メレス氏が重病であることを否定し、メレス氏の所在についての詳細は明らかにしていなかった。
メレス氏は何週間も公の場に姿を見せておらず、先月エチオピアの首都、アディス・アベバでの首脳会談に欠席したことを受けて、彼の健康に関する憶測が高まっていた。
エチオピアの国営メディアによると、メレス氏の代理であるハイレマリアム・デサレン氏が、2015年の選挙まで首相に就任するそうだ。
メレス・ゼナウィ首相について
メレス氏は、1991年に社会主義政権の指導者メンギスツ・ハイレマリアム氏を追放した反政府勢力の指導者として権力を握った。
エチオピアの経済発展に注力してきたが、人権問題については批判の多い首相だった。
エチオピアの経済は、エリトリアの分離とその後の両国間の戦争にもかかわらず、近年急速に成長していた。
メレス首相の下で、エチオピアは米国と手を結び、何年にもわたって数億ドルの援助を受け続けた。東アフリカをパトロールする米軍無人機の基地も提供していた。
メレス氏は、ソマリアでイスラム過激派と戦うために軍隊を派遣し、欧米諸国から高い評価を受けたが、エチオピアの民主主義と人権の欠如については懸念が高まっていた。
2005年の選挙後には、少なくとも200人が死亡し、多くのジャーナリストや政治家がメレス氏の手によって拘束された。
以下の記事を参照
BBC news Ethiopian PM Meles Zenawi dies after illness
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