エチオピア滞在記(2003年10月3日):ひとり旅はひとりじゃない

2023年4月19日

ひとり旅あらゆる人に助けられひとりじゃないのがひとり旅のよさ

伊瀬義治

仁川空港からバンコクに到着したのは22:00頃だっただろうか。

バンコクの第一印象は暑い。

夜なのにとにかく蒸し暑い。

空港からは電車に乗ってバンコクの中心地に向かう予定のはずが、切符をどこで買えばいいかわからない。

「ここかな」と思ったところには人がいない。

「電車のなかで買うのかなー」と勝手に思い込みベンチに座る。

暑い。

ジーンズの中の脚がネトネトしてくる。

となりに無表情のお兄ちゃんが座る。

空港の仕事から帰るところみたい。

切符を買えないのはちょっと心配だったので、そのお兄ちゃんに切符をどこで買うか聞いてみる。

英語で話しかけてみたものの、お兄ちゃは英語がわからないみたい。

でも、さっき「ここかな」と思った無人の小屋が切符を買う場所ということはわかった。

「Is it open ?」

と聞くと

「とにかくそこだ!」

と言っているような気がした。

小屋の前まで行ってみるがやはり誰もいない。

小屋を覗き込んでいると、無表情のお兄ちゃんが寄ってきて

「ここで待ってろ」

と言っている(ようだ)。

私が言われた場所で待っていると、私の後ろに4人ほど並びはじめた。

私の後ろに並んだ若いお姉さんは私の顔をチラチラと見ながら周りに人に

「切符はいつから売るのかしらね?」

と聞いている(ようだ)。

ふらふらと駅員らしき男性がホームをふらふらと歩いてくるが

「そのうち売りはじめるだろう。俺の仕事じゃねーしな」

というような態度で小屋の前をとおりすぎていく。

お姉さんはあきれた笑顔で私の顔を見て

「もう、どうすればいいのよ。とりあえず待つしかないのよね」

とわざと私に聞こえるようにひとり言を言っている(ような気がした)。

もう一人、男性が私の方をチラチラ見ながらそわそわしている。

「この人あやしいかも」

と最初は感じたものの、どうやら旅行者の私を遠くから見守ってくれているようだ。

お姉さんといい、無表情のお兄ちゃんといい、私をチラチラ見ている男性といいタイの人々の優しさが伝わってくる。

そうこうしているうちに、切符を売る係らしき男性が小屋の鍵を開け、窓口にどっかりと座る。

ふーと、一息ついてから、切符を売りはじめる。

「ホアランポーン駅まで」

と英語で言ってみるものの、なかなか通じない。

「バンコック?バンコック?」

と切符売りのおじさんが叫びだしたので、

「Yes」

といい、なんとか切符を手にいれる。

そのうち、電車がホームに到着する。

が、その電車に乗っていいのかどうかわからない。

モジモジしていると、私をチラチラと見ていた男性が

「これだ、これだ」

と言っている(ようだ)。

無表情のお兄ちゃんは

「切符を見せろ」

ちおうようなことを言って私の切符を見る。

そして、

「ついて来い」

という仕草で私を電車に乗せてくれた。

これでホアランポーン駅まで行くことができると思い一安心。

時刻は23時近く。

窓が全開になっているものの、この蒸し暑い気候の中では気持ちがよいとは決して言えない。

生ぬるい風を受けながら

「タイ人いい人だ」

と思いながらボーっと真っ黒な外を眺める。

私の前の座席に座っている白人の男性3人は英語の発音を聞く限り、多分アメリカ人だろう。

しばらくすると、制服をきた警察みたい人が3人ほど車両に入ってきて、アメリカ人に声をかける。

彼らは愛想笑い。

言葉が通じないのだろう。

なんとなくタイの人を馬鹿にしたような態度であり、ちょっとイラッとする。

そのうち、電車が比較的大きな駅に到着。

電車に乗っていたタイの人が、アメリカ人に

「バンコクに行くんだったら降りろ」

と英語で言っている。

それを聞いた私は不安になり、電車から顔を出しキョロキョロして駅名を探そうとした。

すると空港の駅で一緒だった無表情のお兄ちゃんが私の肩を叩き「降りよう」と言っている(ような気がした)。

「乗り換え?」

と英語で聞いてみても返事がない。

すると、空港の駅で私をチラチラと見ていたお兄ちゃんが無表情のお兄ちゃんに

「連れて行ってやれ」

というようなことを言っている(ようだ)。

無表情のお兄ちゃんが「来い」という仕草をするので、ついていくと駅員室まで行き、何か言っている。

すると、駅員室にいた一人がきれいな英語で

「ホアランポーン駅行きの電車は今日は終わったよ。タクシーで行きなさい」

と言うではないですか。

「ガイドブックには24時間運行と書いてあったのに!!」と思う。

無表情なお兄ちゃんは私をタクシー乗り場まで連れて行ってくれた。

しかし、そこで待機していたのはバイクタクシーのみ。

無表情のお兄ちゃんはなんか、ベラベラとバイクタクシーの運転手と話をしている。

そのうち、バイクタクシーの運転手が私に向かって乗れと合図をする。

言われるままに乗ろうとするが、私はスーツケースを持っている。

すると、もう一人のバイクタクシーの運転手が、私からスーツケースをすうっととりあげ、友人らしき青年にスーツケースを渡す。

私からスーツケースを取りあげた運転手は、バイクにまたがり、私のスーツケースを持った青年は、そのバイクの後ろの席にスーツケースを抱えて座る。

そして、バイクは走り出してしまう。

「あ!」と思うと、私に早く乗れと言っていた運転手が、「もう、早く行くぞ!」という表情でうしろに乗れと合図をする。

私がそのバイクの後ろに乗ると、バイクは走り出す。

私はスーツケースを運ぶバイクを見失わないようにじっと見つめる。

このまま、スーツケースを盗まれてしまわないか、と気が気でない。

だが、バイクの運転手どうしは楽しそうに会話をしながら、バイクを走らせる。

私のバイクを運ぶスーツケースもどこかに消えてしまいそうな雰囲気はまったくない。

信号でバイクが止まり、ふと反対側に目をやると、もう一台バイクが止まり、運転手同士が話しをはじめる。

その後ろには、空港の駅から一緒の無表情のお兄ちゃんである。

そのうち、バイクは車のタクシーが数台止まっている場所で停まる。

そこで、私のスーツケースを運んでいた運転手はタクシーの運転手に私のスーツケースを手渡す。

タクシーの運転手はトランクに私のスーツケースを乗せ、私にタクシーに乗れと合図する。

バイクタクシーの運転手は、私をタクシー乗り場まで運んでくれたようだ。

バイクの運転手たちにお礼を言い、握手をして、お金を払おうとすると、彼らは手を振り

「お金なんていらないよ」

というようなことを言っている(ようだ)。

「なんとも、タイの人たちいい人なんだー」と感動。

駅で出会った無表情のお兄ちゃんとも、ここでお別れ。

しっかりと握手そして、私はタクシーに乗り込む。

走り出したタクシーの中で行き先を「National Stadium」と告げる。

私は、モノレールのNational Stadium駅から徒歩3分のホテルを予約していた。

・・・が、通じない。

なんで!と思い、しばし考え納得がいく。

英語がまったく通じない日本のタクシー運転手に「国立競技場に言ってくれ」と言うべきところで「ナショナル・スタジアム」と言っても国立競技場にすんなりとたどり着けるわけがない。

タイ語で「国立競技場」と言えば通じるのだろうけど、もちろんタイ語で「国立競技場」なんて言えるわけがない。

そこで「ホアランポーン駅まで」と告げてみる。

ホアランポーン駅からホテルまでは徒歩20分と書いてあったので、歩けないことはないだろうと考えたのだ。

しかし、タクシーの運転手は

「バンコック?バンコック・ステーション?クローズ、クローズ。No station」

と言い、ホアランポーン駅まで連れて行ってくれる様子はまったくない。

とっても親切なんだけど困ったものだ。

そこで、持っていた日本語のガイドブックを開いて地図を見せてみる。

すると運転手は

「OK、OK」

と言って黙って車を進める。

そのうち、バンコックの中心地らしき場所までやってくる。

ネオンサインがきらめき、明るいあかりが灯ったコンビニがちらほらと見える。

しばらくすると、タクシーの運転手が「ブック、ブック」という。

どうやら、ガイドブックの地図をもう一度見せてくれ、と言っているようだ。

ガイドブックを見せるものの、日本語のガイドブックではなかなかわからないようだ。

運転手はぐるぐる、同じ場所を回っている。

私は、メモ帳に「National Stadium Station」と書いて、運転手に渡してみる。

すると、運転手は車を止め、歩道を歩く人々にその紙を見せて、何やら話しをしている。

5人目くらいに、やっと運転手の顔が明るくなり、タクシーを再度出発させる。

1分ほどタクシーを走らせて車を停めた運転手は「ここだ」というようなことを言う。

とりあえず、ホテルには無事到着。

チェックインをすませ部屋に行き、お金だけ持ってタクシーの中からみえたコンビニ行きビールを2本買う。

ホテルの部屋に戻ってベッドに座りビールを開ける。

蒸し暑い街中を冒険したあとのビールは格別においしい。

そして、ホテルでくつろぎながらおいしいビールが飲めるのも、空港からここまで助けてくれたタイの人々のおかげだと、しみじみと彼らに感謝する。

はじめて一人できたバンコク。

ひとり旅のつもりが、まったくひとりを感じさせない現地の人々の優しさを感じたはじまりとなった。

ひとり旅は「ひとり旅」というものの、決してひとりではないのが、ひとり旅のいいところなのだ。