エチオピアがわかる本:『マスカルの花嫁ー幻のエチオピア王子妃』(山田一廣)
1931年、エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエ1世は外務大臣で日本の公爵に相当するヘルイ・ウォルデ・セラシエを団長にした使節団を日本に派遣した。
ヘルイ使節団に随行した皇室の縁戚者アラヤ・アババが日本人の華族との結婚を求め、黒田広志子爵(黒田和志長男)の次女黒田雅子との縁談の話が持ち上がった。
このような状況において、日本人はエチオピアにどのように反応したのか、日本のメディアはエチオピアについてどのような報道をしたのかなど、当時の日本の様子を上手に描いているのが本書です。
当時の日本人のエチオピアに対する態度(どちらかというとプラスの態度)がよくわかります。
当時を知らない私にしてみれば、エチオピアと日本の関係がこんなに近かった時代もあったのか、と驚かされる内容でした。
ノンフィクションとしては、読みやすく、話題もそこまで深刻ではないので、気軽に読めて楽しい本です。
結局、アラヤ・アババ氏と黒田雅子さんの縁談は破談となってしまいますが、よく言われるのは、当時エチオピアを植民地にして利権を得ようとしていたイタリアが、日本政府に圧力をかけて結婚の解消を迫った、ということです。
しかし、本書の黒田雅子さんへのインタビューによると、どうやら横槍を入れたのはフランスということがほのめかされていました。
当時エチオピアとジブチの間を結ぶ鉄道を建設中であったフランスは、エリトリアを植民地としているイタリアと同盟を結んでいる日本がエチオピアとも良好関係になることを恐れたという説明がされていました。
最初にイタリアが破談を迫った、と聞いたときは私自身なんでだろう?と思いました。
なぜなら、当時イタリアと日本は友好関係にあり、イタリアはエチオピアでの利権を得ようとしている。
そこで、エチオピアと日本の友好関係が構築されれば、イタリアにとってもプラスになるのではないだろうか、と考えておりました。
ただし、当時の報道の記録などを見るとムッソリーニが縁談を酷評していたという記録もあるようで、イタリアが日本とエチオピアが仲良くなることを嫌がったのは事実かもしれません。
しかしながら、フランスが横槍を入れた説の方が、なんかしっくりくると思うのは私だけでしょうか。
日本人がエチオピアを知るための入門書としては、最適な本だと思います。
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